さようなら
- 岡山大学ヨット部

- 10月31日
- 読了時間: 4分
3年半お世話になりました、ラックです。多くの方に助けていただき何とか走り抜けることができました。この場を借りてお礼申し上げます、ありがとうございました。大学生活で大半を占めたのはヨットだと思います。単純にヨットだけでなく部の運営など様々な普通の大学生では得ることができないものを吸収できたと思います。さて、私がこの部活で記憶に残っている出来事を振り返っていきましょうか。
まずは新歓、当時はヨットについて何も知らなかったです。初めてビラを貰ったのがヨット部で、当時話した先輩がとても優しかったのを覚えています。ヨットという乗り物よりはヨット部の雰囲気がいいなと思い入部しました。ただ、1回生の夏はヨットがよくわからないし、あまり乗せてもらえないしで正直楽しくはなかったですね。
1年弱ほど飛んで1月に広島遠征に行きました。少人数(4人)の遠征、他大学の合宿所に泊めてもらったこと、極寒で爆風が吹いてヨットに対して恐怖を感じたこと。ずっと沈し続けて全く乗れなかったのですが、自分的にはこの日の経験がヨット観を大きく変えてくれました。
半年ほど飛んで73が出た全日本スナイプの付き添いで蒲郡に行きました。ずっと助手席だったので何もしてないと言われればそれまでですが、朝に牛窓出て、夕方に到着して舟下ろしてすぐ帰るというとんでもスケジュールでした。戻ってきたのは午前2時とか…、スーパー眠たかったですね。
2カ月ほど飛んで幻の個戦、全国のレースに多少緊張しながらも蒲郡に到着して舟下ろしを終えたら急に体調を崩しました。快復することを祈り早く寝ましたが、翌日さらに悪化しており、まさかのインフルエンザ。悲しかったですね、まだ2回生で今後もあったのが何よりの救いでした。帰りの舟積みあたりで体調が回復しましたね。要するに舟積み舟下ろし要員でしたよと。
また半年ほど飛んで春合宿。クルーとして伸び代がなくあまり楽しくないなーと思ってましたが、この時のコーチングで何かを掴みました。嫌いだったスピントリムが急に好きになりました。未だに掴めているか分からないのですが、パンピングってすごく楽しい。1つ上の代が卒業したらスキッパーに転向したいなとも思っていたのですが、この時に引退までクルーで頑張ろうと思うことができるようになりました。まあ1年でスキッパーとして活躍できる気はしなかったっていうのもありますが。
またまた半年ほど飛んで実質初めての個戦。1日目は風があり出艇時間も長かったので中々ハードでした。1日目最終レースあたりで異変が。また体調を崩しました。悔しいというよりは呪われているんじゃあないかと。3日目は若干しんどいながらも出させてもらいました。2年連続迷惑掛けて申し訳なかったですね。
その2カ月後、最上回生になりました。自分は中学高校と真面目に部活に取り組んで来なかったので、他と比べてこの辺の経験がない人間が引っ張る立場に居ていいのかという不安はありましたが、まあダメだったら降りようの気持ちで部活に向き合いました。
そして今年の春合宿、後輩が大きく成長してくれました。この頃から色々な練習をすることができるなと感じるようになり、みんな休まずに参加してくれたので有り難かったです。なのにスプレガ1日目は団体最下位で、OBの若干の冷ややかな目線が怖かったですね。2日目で逆転できたので何とか面子は保てました。
最後の夏合宿、中インの結果がどうであろうと悔いが残らないよう努力しました。76代も2回生とは思えないほどの貫禄があり、また知識も技術もあったので、自分としては対等に話ができるのがとても嬉しかったです。あとは怒涛の遠征ラッシュですね。お金は飛んでいきましたがそれ以上の価値がありました。貯金しておいてよかったなと感じた瞬間でもありましたね、とても楽しかったです。
長々と読んでいただきありがとうございます。最後1年は470を引っ張る立場ではありましたが、皆さんの協力のおかげで何とか続けることができました。口には出していませんが、皆さんの良いところはちゃんと見つけているつもりです。今後はOBという立場になりますが、何かしら恩返しできればなと思っています。卒部式では感動的なスピーチを考えていましたが、僕の悪い癖でボケ続けてしまいました。それでは、お元気で。
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