こんにちは、にっくです。
タイトルを自分で決めてしまいましたが、「引退ブログ にっく」です。
主将としての引退挨拶・振り返りは別の記事に出しておりますので、よろしければご覧ください。
11月上旬、これまで続けてきたヨット部生活が終わりを迎えました。そして、気持ち悪い感じがするだろうなーと思っていた隠居生活は、思っていたより静かに始まりました。スマホをいじっていて心もとなくヨット関連のサイトを開くことはありますが、朝6時50分には家のなかにいます。
実に濃密な4年間でした。
就活の時に自分史を作っていたときにも思いましたが、人生レベルで見てヨット部時代は大きく成長したし、苦労したし、考え続けた期間だといえます。
とりわけ私は主将という役職に就いていましたので、これまで引き継がれてきた部活を2年間託された責任感ゆえか、部活外でもなんとなく緊張感が騒めいていたような気がします。スプレガ後の休日に、友達と遊んでいたら大会関連の問題が舞い込んできて、トイレへ行くふりをしてゆらりんに電話を掛けたことを覚えています。また別の休日、ごまかし君からちょいと長めなLINEが来た時には、そっと画面を閉じました。
主将としてチームの目標達成をできなかったことは心残りです。ただ、やってきたことに後悔はしていません。今から思えばこっちの選択をしたらよかったな、見えていなかった別の選択肢があったのにな、ということはありますが、当時の自分で最善をだしたと思います。目標達成とチーム作りの両輪をどう進めていくか、これは最後まで悩み続けました。自分なりの考えで行動しました。でもやはり、同期の存在は大きかったです。カッチンぼさつのようなヨット大好きオーラ全開マン、皆を温かく支えてくれるプリンしらゆき、などなど。とても助かりました。そうしたこともあり、ヨット部生活での一番の学びは、自分の有限性、まわりとの無限性です。先ほど挙げた同期の存在のほかにも、後輩がいてくれたからこそ73代は頑張れたと思うし、OB・OGさんやハーバーの方々といった、応援してくださる存在がいたからこそ結果を出して笑顔で報告したいと最後までやり遂げられたと思います。ありがとうございました。
選手としても少し振り返らせてもらいます。
いよいよよいよい記憶を巡ると、私は最初、クルーに惹かれていた記憶があります。トラピーズのかっこよさに魅了されており、正直スキッパーが何をしているか分かっていませんでした。スキッパーになったきっかけは、違うクラスでスキッパーガチ志望者のイックンです。はるきはスキッパーやろ、みたいな事を言われた気がします。ほなそーしよか。当時は関西弁ユーザーではなかったので厳密には言葉が違いますが、そんな感じでスキッパーに決めました。感覚重視、そのルーシーみたいな思い切りのよい決断によって、こうしてスキッパーライフを謳歌できました。
主将になるまでの1年半はとくに、ヨットの事だけを考えて過ごすという、今思えば馬鹿みたいな少年でした。図書館にケースブックを置いてもらうなんて、よくやってます。一部の人が使う少年呼びが、当時の私のメタファーであればすごく嬉しいことです。ただ驚くことに、図書館には2013ー16のケースブックも置かれてることから、少年はどうやら私だけではないようです。10年後にケースブックがドンと増えていたら爆笑ものです。
馬鹿みたいに勉強して、ヨットに乗って。レースで前を走れたのは、決して多くはありませんでしたが、落ち込んだ時も、なんだかんだ来週の牛窓の風を調べていました。見事にハマってしまいました。でも、私の番は終わりました。今度は後輩たちの番です。彼ら彼女らが前を走る光景を楽しみにしています。
岡大ヨット部に、みのりあれ。
にっく
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